OSHOuraraka0440のブログ

「 見 と 観 (五輪の書) 」…ものごとを 部分的に見るのは、6.3.3 で教わった・・・全体的に 観る眼を 培うのは、自分への “宿題” だ・・・。

第十七章「七つの身体におけるプラーナの顕現」③

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 次に 第四番目の身体、メンタル体(精神体) がある。

ここでは 想念が入ってきて、想念が出てゆく。 が、この「入ってくる想念」と「出てゆく想念」にも 相似・対応するものがある。

息を吸っているあいだに 想念が浮かんだら、その瞬間 はじめて独創的な考えが生じる。
息を吐くときは 無力な瞬間。
その瞬間には どんな独創的な想念も 生まれない。

ある独創的な想念が 生まれる瞬間には、呼吸さえ止む。
独創的な想念が 生じるときは 息は止まる。

対応する現象は それだけだ。


 想念が 出てゆく際には 何ものも生じない。
それは ただ死んでいる。

だが、入ってくる想念と 出てゆく想念に 気づいたら、そのときには 第五番目の身体を 知ることができる。


 第四番目の身体のところまでは、理解するのは困難ではない。
というのも、私たちには それらを理解する拠り所となりうる 何らかの体験があるからだ。

第四身体を 超えると、ことは非常に 不思議になってくる------しかしなお、何かを 理解することはできる。

そして、第四身体を 超越するときには、あなたは もっと それを理解することだろう。

…④に つづきます・・・。

(Meditation the art of ecstasy 1976.スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳者 1981) pp.324-325