OSHOuraraka0440のブログ

「 見 と 観 (五輪の書) 」…ものごとを 部分的に見るのは、6.3.3 で教わった・・・全体的に 観る眼を 培うのは、自分への “宿題” だ・・・。

「ボーディサットヴァフッド」Q & A (01)

『BODHISATTVAHOOD』
 最初の質問
「ボーディサットヴァについての この話は何ごとですか?
私は そのひと言だって信じません。
そのようなものは いっさいありません。」



そう、ソメンドラ、それは まったくナンセンスだ

しかしあなたは ナンセンス nonsense という言葉を理解しなければならない

それは センス (意味、感覚)を 超えている
あなたは それを信じる必要はない
あなたは それを信じることはできない
あなたは ただそれを体験することしかできない


それは ノン - センス non-sense な 体験だ
しかし、それは真実だ、まったく真実だ
それは起こる
それが 起こるまでは、それを信じるすべはない
そして その必要もない

仏陀は どんな種類の信念にも賛成しない
彼が言うことは何であれ、それは体験だ
それは実存的だ
それは マインドを超えた 何かだ


ふつう私たちは、ナンセンスという言葉を マインド以下のものという意味に使う

だが マインドを超えた何かもある------それもまたナンセンスだ
マインドは それからどんな意味も 創り出すことができない
マインドが消えないかぎり、あなたはこの ボーディの存在が 何であるかわからない
それは も の ではない、たしかに------
それは 体験することだ


あなたは 欲望を知っている
あなたは 情熱を知っている
あなたは 性を知っている
あなたは 愛を知っている

まだ性欲が形成されていない子供に それを説明するがいい

そうすればその子は それはまったくナンセンスだと言う

四歳の子に ちょっとそれを説明してみなさい

------あなたが恋に落ちたということを------

そうすると その子はあなたを不審な目で見つめる
「いったい何のこと? その恋とかいうものは何なの?」


あなたの ロマンスのすべて
あなたの 詩情のすべて
あなたの 胸(ハート)の中で 打ち震えているものすべてを、子供に伝えることはできない

彼は まだその体験を味わっていない
彼は それを自覚していない
欲望は 彼のなかに湧き上がっていない

仏陀はその欲望を ワサナと呼ぶ
そのワサナは まだ彼のなかに 生じていない
それが生じないかぎり、それについて何かを伝えるすべはない


欲望、性、愛のなかに含まれる その同じワサナ、その同じエネルギーが
ある日、欲望から解放される
ある日、欲望が落ちる

ちょうど ある日それが 湧き上がったように、ある日 それは落ちる

生まれるものは何であれ 死に、始まるものは何であれ終わる

生が ごくごく自然に、自然発生的に行ったら、一線が画されうるような段階がくる


…02に つづく

(the diamond sutra 1976.スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳者) pp.319-324
 
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