OSHOuraraka0440のブログ

「 見 と 観 (五輪の書) 」…ものごとを 部分的に見るのは、6.3.3 で教わった・・・全体的に 観る眼を 培うのは、自分への “宿題” だ・・・。

第1章「ハート瞑想の実践」(2)

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pp.64~68

◎・・・「今この瞬間にいる」ためには、ハートが 大きな助けになる

「今ここにいる(be here-now)」や「この瞬間にいる(be in the moment)」などという言葉を聞いたことがあるかもしれません。
これらの言葉は 実のところ、何を表しているのでしょう?

「ここ」にいる とは、次のような意味だ と考えてください。

 例えば、今 読んでいる文章があります。
その言葉を たどっているとき、あなたは (ほかのところではなく)「ここ」にいて、自分が 感じていることに気づき、聞こえている音に 気づいています。

 私たちは、こうした状態を「五感が この瞬間に対して開いている」と 言ったりします。


 この本を読みながらも、「ここ」にいよう、現時点に 意識的にいよう としてみましょう。

「ここに いる」というのは どんな感じでしょうか?

 今 この瞬間に、感じているものに 気づいている という感覚はどのような感じがしますか?


 おそらく、ときどき自分が この瞬間からいなくなることに 気づくかもしれません。

それは自分の 考えていることの中に入り込んでしまい、そのことに 気を取られてしまう瞬間です。

 ほかのことを 考えているとき、意識は、考えている状況が起こっている時や 場所へと移動するので、「ここ」に いなくなります。

ときどき、何かをしていても 無意識的に動いているだけで、意識は ぼんやりと、思考や ファンタジーの中を さまよっていたりします。

 そのときは、実際に 目に入ったり、聞こえていたり、感じていることに 気づいていません。
このような状態は 意識を しっかりと使っていないので、内側に入り、内なる本質に つながる働きができません。

このことに お気づきでしょうか?

それが、あなたがハートとともに いないときです。
「心 ここにあらず」とは よく言ったものです。



 それでは、ハートの助けがあると、自分が この場所、この瞬間にいることが どうして楽になるのでしょうか?

 第一に、ハートの醸し出す 愛に満ちた雰囲気のおかげで、ここにいる ことが、ずっと心地よく、魅力的になるからです。

これはちょうど、心を寄せている 大好きな人と一緒にいるような感じです。
その人と 一緒にいることが楽しく、一緒にいることができる瞬間、瞬間を、心ゆくまで味わいたいと思います。
感じていることが 心地よく、心から耳を傾けます。

 自分について 分かち合うことに、大きな喜びを感じます。
何かを 楽しく行っているとき、ハートを込めることで 同じことが起こります。

感受性が開き、今までよりも ずっと生き生きし始め、その瞬間に “丸ごと” 関われるようになります。

例えば、仕事が終わって 気心の知れた友人たちと 話に花を咲かせているときとか、大好きな趣味に打ち込んでいるとき、料理でも、ダンスでも、サッカーでも ゴルフでも、心から好きなことをしているときには、ハートが そこにあります。
仕事が好きな人にとっては、もちろん その仕事をすることが ハートとともにあることです。


 第二に、ハートの愛に満ちた雰囲気は、瞬間ごとに 私たちが経験することを 批判したり、拒絶したりしないからです。
先に「ハートが裁かない」と言ったのは こうした意味合いです。

 ハートがあれば、自分を そのままの姿で 自然に愛せます。

心を乱すような 思考がやってきても、頭の中を いろいろな思いが 駆けめぐっても、ハートは「こんな考え、あっちへ行ってしまえ」などと言って 無理やりに思考を止めようとしません。

 ハートは 思考を排除しようとせず、執着することもしません。
ハートは、思考が やってきては去っていくに任せます。

ハートはちょうど 晴れた青空のように 広大な空間です。

それに対して 思考は 空に浮かぶ雲のようなものです。

ハートにいることで、頭で考えている思考にも 気づいていることができるのです。

 また、感情が わき起こり、自分を ゆさぶるとします。
そのときでも、ハートは 感情を拒絶しません。

ハートは、そっとやさしく、感情を 感じさせてくれます。

子供をそっと やさしく抱き寄せる母親のように・・・。


 しかし、そこにハートが なければ、自分自身を受け入れることが とても難しくなります。

例えば、自分について どんなことでも 厳しく批判すれば痛みがともないます。
痛みを避けるために、自分を守ろうとするでしょう。

自分のしたことに対して、言い訳を したり、誰かのせいで こうなっただ と言うかもしれません。

しかし、そのようにしていると、自分の中で批判している部分を、本当には 見ることができなくなってしまいます。

 痛みを 感じないようにするために、感じること に対して 自分を閉ざしてしまうことになるからです。

このような状態では、内なる本質を 感じることが難しくなってしまいます。
内なる本質は 隠され、ますます たどり着きにくくなってしまいます。


 だからこそ、内なる本質に つながろうとするとき、受け入れるというハートの質が とても大切になるのです。

痛みをともなう感覚さえも 受け入れることで、瞬間ごとに 何を経験していても、それに対して 開かれ、気づいていることができるようになります。

 思考と感情に、ハートを通して気づいていると、注意は努力なしに 内側へと向かい始め、愛情深い目で 自分自身を見るようになります。

やさしく きめ細やかな感受性を持って 自分の内なる世界を感じるようになり、それが、自分の素晴らしさを 深く認め、感じることを可能にしてくれます。

ハートには あなたの 内なる美しさが見えますが、批判がましい マインドの中にいると 見えません。

ハートという入口を通して 内なる本質につながると、生きていることが、温かく、楽しい経験となります。

そして、愛に満ちた態度で、自分自身を認識することができるようになるのです。

…以下 略

(悟りのシンクロニシティ 2013.市場義人 訳者)pp.64-68

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