OSHOuraraka0440のブログ

「 見 と 観 (五輪の書) 」…ものごとを 部分的に見るのは、6.3.3 で教わった・・・全体的に 観る眼を 培うのは、自分への “宿題” だ・・・。

OSHO「ダイヤモンド・スートラ」⑧

【あるがまま】⑧

そして 六番目・・・

マインドを 泡として考えなさい
あらゆるマインド体験は遅かれ早かれ 泡のようにはじけ散る
しかる後に 手の中に【無】だけが残る
マインドを 追いかけるがいい・・・それは泡だ
ときとして泡は 非常に美しくみえる
陽ざしのなかで、それは虹のように みえるかもしれない
それは 虹の色を すべて持っているかもしれない
それは ほんとうに魅惑的で きらびやかにみえる
しかし それに跳びかかってごらん
掴まえてごらん
そうすれば、掴まえた瞬間、それはもうそこにない


それが あなたの生のなかで 毎日起こっていることだ
あなたは あれやこれやを追い求めつづける
そして 何かを掴まえた瞬間、それはもう同じものではなくなる
そうなったら 美しさは すべて去る
その美しさは あなたの想像のなかだけに あるものだった
そうなったら 喜びは すべて去る
その喜びは あなたの願望のなかだけに あるものだった
そうなったら、あなたが起こるだろうと考えていた その歓喜はすべて起こらない
それらは あなたの想像のなかだけに あるものだった
それらは 待つことのなかだけにあるものだった

現実(リアリティ)は そういう泡のような想像とは 全面的にちがう
それらは すべて はじけ散る
失敗が 失望を生むように、成功も そうだ
成功も また失望をもたらす
成功した人たちに 聞くがいい
貧しさが 失望を生むように、豊かさも そうだ
金持ちたちに 聞くがいい
良いものであろうと 悪いものであろうと、あらゆるものが 失望をもたらす
なぜなら すべては マインドの泡だからだ
しかし、私たちは その泡を 追いつづける
追うばかりか、それらを ますます大きくしようとしている
世の中には あらゆる体験を大きくしようとする 熱狂的性癖がある


異民族の学生グループが
象に関する 個人的論文を書くよう求められた、その結果に関する話がある
ドイツ人の学生は、戦争における象の利用法について書いた
イギリス人の学生は、象の貴族的な性格についてだった
フランス人の学生は、象どうしの 愛の営みについてだった
インド人は、象の哲学的態度についてだった
そしてアメリカ人が 選んだ主題は「いかにして象を大きく、より良くするか」だった


マインドは たえず考えている
マインドは アメリカ人だ
いかにして 物事を大きくするか・・・
より大きな家、より大きな車・・・なにもかもが、より大きくなければならない
そして当然、より大きくなればなるほど、それだけ泡は はじけ散りやすくなる
小さな泡は 水面を少し長く 漂えるかもしれない
が、大きな泡は それほど漂うことすらできない
アメリカ人の欲求不満は ここから来ている
アメリカ人ほど 欲求不満に!なっている者はいない
アメリカ人のマインドは、泡を大きくすることに成功してきた
いまやそれは いたるところから はじけている
いまやそれを 保護し、それを救う可能性はないようにみえる
それは 爆発しつつある
そして 誰も まちがってはいない
「その爆発は 我々の 最も深い欲望だ
 我々は それに成功した」とは 誰も思っていないからだ
成功ほどの失敗はない

…⑨に つづく・・・

(ダイヤモンド・スートラ 1979.スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳者)pp.698-702