OSHOuraraka0440のブログ

「 見 と 観 (五輪の書) 」…ものごとを 部分的に見るのは、6.3.3 で教わった・・・全体的に 観る眼を 培うのは、自分への “宿題” だ・・・。

OSHO「ダイヤモンド・スートラ」⑨

【あるがまま】⑨

第七番目・・・

仏陀は、マインドを 夢として考えよ、と言う
それは想像であり、主観的であり、自分自身が 創り出したものだ

あなたは その演出家であり、そして 役者であると同時に 観客でもある
あなたの マインドのなかで進行していることは すべて個人的な想像だ
世界は それとはなんの関係もない
【存在】は それを満たす義務は いっさいない


ある医者が 患者に…中年よりかなり年配の患者だが……
綿密な身体検査を、し終わったばかりだった
「悪いところは ひとつもありませんよ」と 医者は言った
「しかし、性生活の半分は およしになった方がよろしいですな」
老人は 医者を一瞬見つめてから、言った
「どちらの半分です?
 それについて 考えることをかね、それとも それについて喋ることをかね?」


マインドは 非現実的だ
考えるか、それとも 喋るか・・・

それは本物を 少しも知らない
マインドを もてばもつほど、それだけあなたは 現実をもたなくなる
マインドが 少なくなればなるほど、それだけ現実が増す

ノーマインドは、現実であるもの・・・タタター・・・を知っている
そうなったら、あなたは如来・・・如性を知った者・・・になる



あるいは、マインドを 稲妻のきらめきとして考えよ、と仏陀は言う
それ に固執してはいけない
なぜなら それに固執した瞬間、あなたは自分で苦しみを創り出すからだ
稲妻は つかのまだけそこにあって、消える

あらゆるものが 来ては去る
何ひとつ とどまらない
そして 私たちは 固執しつづける
固執することによって、私たちは 不幸を 生み出しつづける

あなたのマインドを 見まもるがいい
それは、いかに何にでも固執する用意ができていることか
マインドは、いかに未来を、変化を おそれていることか・・・
それは あらゆるものを固定することを望む
それは 起こるものすべてに固執したがる

あなたは幸福だ
あなたはその幸福を とどめたい
あなたはそれに固執する
固執した瞬間、あなたは すでにそれを押しつぶしてしまっている
それはもう そこにない

あなたは、ある男性あるいは 女性に出会って、恋をする
そして あなたは固執し、その恋が 永遠に とどまることを望む
まさに その瞬間
・・・この恋は永遠に続くべきだ と望むまさにその瞬間・・・
それは 消える
それはもう そこにはない
マインドの体験は すべて稲妻のようなものだ
それらは 来ては去る


仏陀は言う、ただ 見まもれ、と
しがみつく時間はない!
ただ 見まもり、留意しなさい
「頭痛、頭痛」「愛、愛」「美、美」・・・
ただ留意 しなさい
それで 充分だ
それは あまりに短い瞬間だから それ以上のことは何もできない
留意し、自覚しなさい
自覚(アウエアネス)が あなたの永遠性になりうる
それ以外の何ものも なりえない

…⑩に つづく・・・

(ダイヤモンド・スートラ 1979.スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳者)pp.702-705