OSHOuraraka0440のブログ

「 見 と 観 (五輪の書) 」…ものごとを 部分的に見るのは、6.3.3 で教わった・・・全体的に 観る眼を 培うのは、自分への “宿題” だ・・・。

OSHO「ダイヤモンド・スートラ」解き放たれた愛 ②

(…①の 続き・・・)
 
女性に恋をしたら、あなたは ただちに彼女をあるべき姿に改良しはじめる
そして その女性も、もちろん、たいへんな改良主義者だ
もし女性の愛の犠牲になったら、そのときには あなたはもうなくなる

そのときには、彼女は あなたを改良しすぎるあまり、あなたから別人を創り出す
二、三年後には、あなたは 自分が誰か気づくこともできない
彼女は 切り、刈り、塗り------さまざまなことをする
「こういうふうに ふるまいなさい」
「こういうふうに しゃべりなさい」
「こういうふうに 話しなさい」


ある若い女性が ある男性に恋をした

女性はカトリック教徒で、男性はユダヤ教徒だった

その女性の家族は いたく心配して、
「私たちはおまえを許せない」と言った
その家族は 大金持ちだった
彼らは
「もしその男と結婚したら、おまえは びた一文相続できないぞ」と言った
彼女は ひとりっ子だったので、全財産は彼女のものだったのに------

さて、これはたまらない
そこで彼女は
「どうすれば いいの?」と訊ねた

すると家族の人たちは言った
「まず彼を 改宗させなさい
彼をカトリック教徒にしなさい
そうすれば・・・・・・」

そこで彼女は やってみた
そして とても嬉しくなった

そのユダヤ人は 女より金の方に興味があったので よろこんで従ったからだ
ユダヤ人は ユダヤ人だ
彼は 非常に乗り気だった

彼は 聖書を読み出し、教会へ行きはじめた
そして彼は 狂信的になった

その女性は とても嬉しくなった
ことはすっかり うまく進んでいた
そして毎月、彼女は両親に、事態は完全に うまくいっていると報告したものだった


ところが ある日、彼女は家に帰ってくると 泣き叫んでいた
父親が訊ねた
「どうしたんだい? 何があったのかね?」
彼女は その男性に結婚してくれるよう頼みに行った
彼には用意ができていると思っていたのだ
彼女は父親に言った
「そう、彼は用意ができているわ
でも私は 改革を しすぎたの
私は 彼を改宗させすぎたのよ」

父親はとまどって、言った
「私には わからない
いったいどういうことだい、やりすぎたっていうのは ? 」
彼女は答えた
「ええ、彼ったら 今度はカトリックの お坊さんになりたがっているの
私は やりすぎてしまったのよ」


あなた方の いわゆる「愛」は、多かれ少なかれ、他者を改革している

あなた方は 愛しているから その人を改革したいのだ と言いつづける
それは まったく偽りだ

もしあなたが 愛したら、あなたはけっして 誰も改革しない
愛は 受けいれる
愛は 他者を あるがままに尊重する


世界が あるがままでオーケイになったら
そのときはじめて あなたは世界を愛することができる

革命家、政治家は 世界を愛することができない

ただ宗教的な意識だけが 世界を愛することができる

そして愛するとき、あなたは以前に考えていた以上に 世界がオーケイだと知るに至る

そうなったら あなたはもっと愛する

そして世界がオーケイであるだけでなく、途方もなく美しいということを見出すに至る
そうなったら ますます愛するようになる・・・・・・
そして しだいに あなたは世界が消えてゆくのを見出す

それは 神そのものだ------


(第四:Q&A おわり)

(the diamond sutra 1976.スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳者 1985) pp.125-129
 
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