OSHOuraraka0440のブログ

「 見 と 観 (五輪の書) 」…ものごとを 部分的に見るのは、6.3.3 で教わった・・・全体的に 観る眼を 培うのは、自分への “宿題” だ・・・。

OSHO「ダイヤモンド・スートラ」第四章 FROM THE BEYOND〈彼方〉から / ①

最初の質問
「何がまちがってしまったのでしょう?
人々が、大きな喜びよりもむしろ恐怖をいだいて、いやいやながらあらゆる新しいものに出会うのはなぜでしょう?」


新しいものは あ な た からは 生まれない
それは 彼 方 な る も の から来る
それは あなたの一部ではない

あなたの 全過去が危うくなっている
新しいものは あなたとは連続していない
それゆえの恐怖------

あなたは ある生き方で生きてきた
あなたは ある考えで考えてきた
あなたは 自分の信念をもとに 居心地のよい生活をつくってきた

それから 何か新しいものが ドアをノックする
いまや、あなたの過去のパターンすべてが 掻き乱されようとしている
新しいものが入るのを許したら、あなたは二度と 同じではなくなる
〈新しいもの〉が あなたを変える


それは危険だ
新しいものと いっしょだったら、どこでどうなるか わかるものではない
古いものは既知のもの、なじみぶかいものだ
あなたは 長いあいだ それと共に生きてきた
あなたはそれに親しんでいる
新しいものは なじみがない

それは友かもしれないし、敵かもしれない
誰にも わからない
それを知る すべはない
知るための 唯一の方法は それを許すことだ
それゆえに懸念や 恐れがある


そしてあなたは それを拒絶したままでいることもできない
なぜなら、古いものは あなたが求めているものを いまだ与えていないからだ
古いものは約束してきたが、その約束は まだ果たされていない
古いものは なじみはあるが惨めでもある

新しいものは 不快なものかもしれないが、可能性はある
それはあなたに 至福をもたらすかもしれない

だからあなたは それを拒むことはできないし、受けいれることもできない
それゆえに あなたは迷い、おののく
深い苦悩が あなたの存在のなかに湧き上がってくる

それは自然なことだ
何も まちがってしまったわけではない
それは いつもそのようにして存在してきた
それは これからも かならずそのようになる


新しいものの出現を 理解しようと試みなさい

この世の誰もが 新しくなることを望んでいる
古いものに満足している人は 誰もいないからだ
誰も古いものには 満足できない

それが何であれ、あなたがそれを 知ってしまっているからだ
ひとたび知ってしまったら、それは 繰り返しになる
ひとたび知ってしまったら、それは退屈になり、単調になる

あなたはそれを 取り除きたい
あなたは探検し、冒険したい
あなたは 新しくなりたい
にもかかわらず、新しいものがドアをノックするとき
あなたは しりごみし、引き下がり、古いもののなかに隠れる
これは板ばさみ(ジレンマ)だ


どうしたら新しくなれるだろう?
そして誰もが 新しくなりたがっている

勇気が必要だ
ただの勇気ではなく、ただならぬ勇気が必要だ
世界は 臆病者でいっぱいだ

だから人々は 成長するのを やめてしまった
臆病だったら どうして成長することができよう?

新しい機会が やってくるたびに、あなたはしりごみし、眼を閉じる

どうやって成長できよう?

どうやって 在 る ことができよう

あなたはただ 在 る ふりを しているだけだ

あなたは、成長できないから、成長の代用品を 見つけなければならない
あなたは成長できないが、あなたの銀行預金は「成長」することができる

それが 代用品だ

それには どんな勇気もいらない
それは あなたの臆病さに まさにうってつけだ
銀行預金が成長しはじめると、あなたは 自分が成長している と思いはじめる
あなたは前よりも 立派になる
あなたの 名前や名声が高まる

あなたは自分が 成長していると思うかね?
あなたはただ 自分をだましているだけだ

あなたの名前は あなたではない
あなたの名声も あなたではない
あなたの銀行預金は あなたの存在(ビーイング)ではない
だがその 存在のことを考えると、あなたは震えはじめる
そこでの成長を望むなら、あなたは臆病さをすべて 落とさなければならないからだ

…②に つづく

(the diamond sutra 1976.スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳者 1985) pp.199-203