OSHOuraraka0440のブログ

「 見 と 観 (五輪の書) 」…ものごとを 部分的に見るのは、6.3.3 で教わった・・・全体的に 観る眼を 培うのは、自分への “宿題” だ・・・。

第十七章「七つの身体におけるプラーナの顕現」⑥

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 私たちは 第六身体においてさえ執着するようになる (「人類は死滅してはならない!」) 。
が、生 ま れ た ものは すべて死ななければならない。
人類でさえ 死ななければならない。
水爆が人類を 滅ぼすためにつくられる。
私たちは 水爆をつくるが早いか、ただちに別の惑星へ行くという あこがれをつくりだす。

水爆がつくられた ということは 地球がまもなく死滅するということだからだ。
この地球が死滅する前に、生命は どこかほかのところで進化しはじめるだろう。


 第六番目の身体は、宇宙的な創造と 破壊の感覚だ------創造、破壊・・・入息、出息。
だからこそ、「ブラフマー神の息」が用いられる。
ブラフマー神は 第六身体の人格神だ。

第六身体に 達すると、あなたはブラフマー神になる。
実際には、ブラフマー神と シヴァ神の両方に、その両極性に目覚める。

そして ヴィシュヌ神は その両極性を超えたところにいる。
それが トリ・ムルティ tri-murti' 三位一体を形づくっている。
ブラフマー神、ヴィシュヌ神、そしてマヘッシュ神(シヴァ神)------。

 この三位一体は、観照の三位一体だ。
ブラフマー神とシヴァ神 (創造者と破壊者)に 目覚めたら------この二つに、この二つの位格を自覚したら------そのときには、あなたは 第三の位格、ヴィシュヌ神を知る。

 ヴィシュヌ神は 第六身体における あなたの実体(リアリティー)だ。
だから、ヴィシュヌ神は その三神のなかで最も目だつようになった。
ブラフマー神も憶えられてはいる。 が、創造神であるにも か か わ ら ず、おそらく 一、二の寺院でしか 崇拝されていない。
ブラフマー神は 崇拝されてしかるべきだ。 が、実際には 崇拝されていない。

シヴァ神ヴィシュヌ神よりも崇拝されている。
というのも、私たちは 死をおそれているからだ。
シヴァ神への崇拝は 死の恐怖から来ている。 が、創造の神たるブラフマー神は ほとんど誰も崇拝しない。

というのも、あなた方は すでにこの世に 生をうけていて、そのことを気づかうことは 一切ないからだ。
だから、あなたは ブラフマー神にかかずらわない。

大寺院が ただのひとつもブラフマー神に献納されていないのは そのためだ。
ブラフマー神は 創造者(造物主)だから、本来、寺院はこぞって献納される べきだ。が、実際は そうではない。


 シヴァ神を崇拝する人が 最も多い。
おびただしい数の 寺院が献納されたから、シヴァ神は いたるところに見られる。
石のひとつも あれば、シヴァ神を象徴化するのにこと足りる (さもなければ、あんなにたくさんのシヴァ神の偶像をつくるのは不可能だったろう)。
だから ただの石ころひとつで じゅうぶんだ------。
ちょっと石ころひとつ どこかに置いてごらん。

そうすれば シヴァ神が そこに現われる。
心(マインド) は 死ぬことを非常に おそれているから、あなたは シヴァ神から逃げることはできない。
シヴァ神は あがめられてしかるべしだ! そして現に あがめられてきた。

 しかし、ヴィシュヌ神は さらに本質的な神格だ。
だからこそ、ラーマは ヴィシュヌ神の化身であり、クリシュナも ヴィシュヌ神の化身であり、そしてアバターラ(神の化身) は ことごとくヴィシュヌ神の化身なのだ。
のみならず、ブラフマー神やシヴァ神でさえ ヴィシュヌ神を崇拝する。

 なるほど ブラフマー神は創造者かもしれない。
だが、彼が創造するのは ヴィシュヌ神のためなのだ。
なるほどシヴァ神は 破壊者だろう。 が、彼が破壊するのは ヴィシュヌ神のためなのだ。

これらはヴィシュヌ神の 二つの息(入る息と出てゆく息) 、ブラフマー神が 入息で、シヴァ神が 出息だ。

そして、ヴィシュヌ神こそ 第六身体における実体(リアリティー)だ。

…⑦へと つづきます・・・

(meditation the art of ecstasy 1976.スワミ・アナンド・ヴィラーゴ訳者) pp.331-333