OSHOuraraka0440のブログ

「 見 と 観 (五輪の書) 」…ものごとを 部分的に見るのは、6.3.3 で教わった・・・全体的に 観る眼を 培うのは、自分への “宿題” だ・・・。

『OSHO:アクティブメディテーション』 Q&A

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(Q) 「Osho.『なぜ、アクティブ メディテーションの必要があるのですか?』」


(A) 現代人というのは、全く新しい人間だ。
 現代人の様な人は、今まで決して存在したことがなかった。
 だからどんな伝統的なメソッドも、厳密には彼らに用いられない。
 つまり言ってみれば、すべての伝統的なメソッドは適切でなくなってしまった。

 例えば、身体は大きく変化した。
 とても汚染され、どんな伝統的なメソッドもその助けにはならない。
 今、地球をとりまく環境全体が人工的だ。
 大気、水、社会、生活をとりまく状況、何ひとつ自然ではない。
 あなたは人工的な環境の中で生まれ、その中で育つ。
 だから伝統的なメソッドは、今日では有害だと証明されるだろう。
 それらは、現代人にあわせて変化させなければならない。

 もうひとつのことは、マインドの質が基本的に変化したことだ。
 パタンジャリ(もっとも有名なヨガの注釈者)の時代には、人々の人格の中心は頭ではなくハートにあった。
 それ以前は、ハートでさえなかった。
 それはもっと低く臍に近いところ、あるいは、臍よりも更に低いところでさえあった。
 いまや、中心は頭にある。
 だから、クリシュナムルティのような教えが気に入られるのだ。
 どんなメソッドも、どんなテクニックも必要ではなく、ただ理解だけだ。
 しかし、もし言葉の理解、知識だけだとしたら、何も変化せず何の変容も起こらない。
 それは再び、ただの知識の堆積になる。

 私は、整然としたメソッドよりむしろ混沌としたメソッドを使う。
 なぜなら混沌としたメソッドは、中心を頭から下げるのをとても助けるからだ。
 どんな系統的メソッドも、中心を押し下げることはできない。
 なぜなら、系統化することは頭の働きだからだ。
 系統的メソッドによって頭は強められ、もっと多くのエネルギーがそこに注ぎ込まれるだろう。
 混沌としたメソッドをする時、頭は無用だ。
 それは、頭とは何の関係もない。
 メソッドがあまりにも混沌としているので、中心は自動的に頭からハートに押し下げられる。
 もしあなたが、 ダイナミック メディテーションという私のメソッドを、力強く、無秩序に、混沌と、行なうならば、あなたの中心はハートに移動する。
 その時、浄化は起こる。

 浄化は必要だ。
 なぜなら、あなたのハートは頭の為にとても抑圧されているからだ。
 頭があなたの実存の中であまりにも優勢になり、それがあなたを支配している。
 ハートにはどんなスペースもなく、その切望は抑圧されている。
 あなたは決して心から笑ったこともなければ、心から生きたこともないし、心から何かをやったこともない。
 頭がいつも系統化しに、物事を数学的にするためにやって来て、ハートは抑圧される。
 だからまず最初に、意識の中心を頭からハートに落とすため、混沌としたメソッドが必要となる。

 だから、ハートの重荷を降ろすために、ハートの抑圧を解き放つために、ハートを開くために浄化が必要だ。
 もしハートが軽くなり重荷が降りたら、意識の中心はますます下に押される。
 それは臍に落ちる。
 臍は活力の源だ。
 そこからすべての他のものがやって来る、種の源だ。
 身体、マインド、そしてすべてが、そこから来る。

 私はこの混沌としたメソッドを、深い考慮の上で用いている。
 系統的方法論は、今や助けにならない。
 なぜなら、頭はそれを自分自身の道具として使うからだ。
 あるいは、献身的な愛の歌をただ唱和することは、今や助けにならない。
 なぜなら、ハートがあまりにも重荷を背負っているため、それが本当の唱和に花開くことはあり得ないからだ。
意識が源に、根に降りなければならない。
その時にだけ、変容の可能性はある。
だから私は、混沌としたメソッドを、意識を頭から下に降ろすために用いる。

 あなたが混沌の中にいる時、頭はその働きを止める。
 例えばあなたが車の運転をしていて、突然誰かが目の前に飛び出して来たら、あまりにも瞬間的な反応が必要なため、頭はそれに反応できない。
 頭には時間が必要だ。
 それは、どうすべきでどうすべきではないかを考える。
 だから、あなたが事故の可能性を前にしてブレーキをかける時はいつも、臍の近くに何かの感覚を感じるだろう。
 あたかも、あなたの胃が出来事に対処しているかのように。
 事故によって、あなたの意識は下に降ろされた。
 もしもその事故が事前に推定されるものであったら、頭はそれを処理することができただろう。
 しかし、あなたが実際に事故に遭う時、何か未知のことが起きている。
 その時、意識が臍に動くことに、あなたは気づく。

 もし禅の僧に
 「あなたはどこで考えるのか?」と聞いたら、彼は腹に手を置く。
 西洋人が最初に日本の僧に会いに来た時、彼らは理解することができなかった。
 「ナンセンスだ! どうやって腹で考えるというんだ?」

 しかし、禅の回答は意味深い。
 意識は身体の中のどのセンターにも使える。
 本来の源にもっとも近いセンターは臍だ。
 頭は本来の源からもっとも遠い。
 だから、もし生命エネルギーが外向きに動いているなら、意識の中心は頭になる。
 そして、もし生命エネルギーが内向きに動くなら、究極的には臍が中心になる。

 混沌メソッドは、意識をその根っこに押し下げるために必要だ。
 なぜなら、根からのみ変容は可能だからだ。
 さもなければ、あなたがいくら言葉だけを並べ続けても、変容は起こらないだろう。
 何が正しいのかをただ知るだけでは充分ではない。
 あなたは根を変容しなければならない。
 そうでなければ、あなたは変わらない。

 ある人が何が正しいかを知っているのに、それについて何もできない時、彼は二重に緊張する。
 彼は理解しているけれど、どうすることもできない。
 理解というものは、それが臍――根からやって来る時にだけ、意味を持つ。
 もし頭だけで理解したなら、それがあなたを変容することはない。  Osho.