OSHOuraraka0440のブログ

「 見 と 観 (五輪の書) 」…ものごとを 部分的に見るのは、6.3.3 で教わった・・・全体的に 観る眼を 培うのは、自分への “宿題” だ・・・。

「悟りのシンクロニシティ」第3章:pp.139-142

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第3章「意識の多重構造マップ」の活用法
pp.139-142

(略)…この本で紹介する 瞑想エクササイズは、あなたが内側に入り、本質を発見し、自分の中心を 見つけられるように手助けします。

自分の中心に戻り、自分独自の解決策が 本質から立ち上がるに任せ、それらを表現する方法が 見つかるようになります。

そうなると、あなたは 愛、忍耐、敬意、勇気、慈しみなど、人生で本当に 大切なものすべてに導かれるようになります。

このことは、内側に入り、どのようなことが起こるのかを 発見すると ハッキリするでしょう。

私たちが 約束できることは、中心に入ったことがある人で、入る前より ひどい状態で 戻ってきた人は誰もいないということです。

誰も、傷ついて戻ってきたりしません。
脚を骨折して戻ってきた人もいないし、何かが おかしくなることはないのです。
ひとり残らず、よりよくなって戻ってきます。

私たちが ここでしているのは、あなたも 試してみるように励ますことです。
何かが 成果として感じられるまでに 時間がかかるかもしれませんが、それでも やり続けてください。


・・・★比較する★・・・

自分自身に 価値を感じることは、「ハートを 入り口として内側につながったときに起こります」。

主に 外側のサークルだけで生きているとしたら、どのようにして 自分の価値を 見つけることができるでしょう…?

中心に つながっていないとき、意識は 外を向いてます。
外側に 自分自身の価値を見つけようとすると、自分と人を 比較するしかありません。
そうやって自分の 資質、才能、業績などを、ほかの人たちのものと 比較することになるのです。

少し 考えてみてください。

どのようにして あなたは 自分を ほかの人たちと比較することができるでしょう?
自分の知性や技術を 比較しますか…?

自分のほうが 良いクルマや家を持っているだろうか とか、お金持ちだろうか とかいうふうに比較するのでしょうか?

見た目や 自分の身体が どれほど逞しいかを 比較するのでしょうか?
仕事での 成功を 比べることになるでしょうか?
人間関係や 家族との関係で 自分がどれほど幸せかを比較しますか…?


比較することは、外側のサークルに いることのひとつの徴候ですが、その中でも 最もつらいものです。
自分が 人より劣っていると考えたときのことを 思い出してみると、なぜ比較すると 苦しいのか わかるでしょう。

比較しているとき、どのように感じるでしょうか?
ほとんどの人は、自分が 切り離され、収縮し、人から拒絶されるに違いない と感じるでしょう。
自分と人を 比較すると、自分が 劣っているとか、無価値であるとか、力不足だとか、落伍者だ とか感じるかもしれません。


一方、人と比較して、自分のほうが 優れていると考えるときには、どんなことが 起こるでしょう…。

優越感は、自分に価値がある とか 大事な存在だ という気持ちを、しばらくは感じさせてくれるかもしれません。
しかし、秀でているのは「悪いこと」だと 教えられてきたとしたら、罪悪感を持ったり、優越感を隠そうとするでしょう。

人から 嫉妬されることを恐れたり、傷つけられることを恐れたりするかもしれません。

人は、力をつけて あなたをしのぐには どうすればよいかを 考えるでしょう。

優越感であれ、劣等感であれ、どちらの場合でも、自分と 比較している その人とあなたとは 分離しているのです。

ひとりぼっちに感じ、傷つきやすく、優越した立場を失うことを 恐れるかもしれません。
そして、すぐに自分が本当に 相手より優れているのだろうか と疑い始めます。

頂点にいようとして もがき苦しむことになるかもしれません。
そして 自分を相手と比べ、ふたたび劣等感を感じるのに それほど長くはかからないかもしれません。

たいていの人は、この二極の間を 行ったり来たりしています。

この状態では、自分の本質を 見つけることは難しくなります。

それは 内側を見る代わりに、外側を見て、他人を 見ているからです。
外側を 覗き見ることに とらわれてしまっていることが、比較が痛みであることの 最大の理由です。

なぜなら、人から分離している と感じることも同じくらい つらいのですが、自分自身との つながりを断たれ、分離していると感じること、
自分の本質、自分の本当の姿から 分離していると感じることは さらにつらいことだからです。

……つづく…

(悟りのシンクロニシティ 2013.市場義人 訳者)pp.139-142