OSHOuraraka0440のブログ

「 見 と 観 (五輪の書) 」…ものごとを 部分的に見るのは、6.3.3 で教わった・・・全体的に 観る眼を 培うのは、自分への “宿題” だ・・・。

「悟りのシンクロニシティ」より・・・

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pp.64-67

・・・「今この瞬間にいる」ためには、ハートが 大きな助けになる


「今ここに いる(be here-now)」や「この瞬間に いる(be in the moment)」など という言葉を聞いたことがあるかもしれません。
これらの言葉は実のところ、何を表しているのでしょう?

「ここ」に いるとは、次のような意味だと考えてください。
例えば、今読んでいる文章があります。
その言葉を たどっているとき、あなたは(ほかのところではなく)「ここ」に いて、自分が感じていることに 気づき、聞こえている音に 気づいています。
私たちは、こうした状態を「五感が この瞬間に対して 開いている」と 言ったりします。

この本を 読みながらも、「ここ」に いよう、現時点に意識的に いようとしてみましょう。

「ここに いる」というのは どんな感じでしょうか?
今この瞬間に、感じているものに 気づいているという感覚は どのような感じがしますか?


おそらく、ときどき自分が この瞬間からいなくなることに 気づくかもしれません。
それは 自分の考えていることの中に 入り込んでしまい、そのことに 気を取られてしまう瞬間です。

ほかのことを 考えているとき、意識は、考えている状況が起こっている 時や場所へと 移動するので、「ここ」に いなくなります。
ときどき、何かをしていても 無意識に動いているだけで、意識は ぼんやりと、思考やファンタジーの中を さまよっていたりします。

そのときは、実際に 目に入ったり、聞こえていたり、感じていることに 気づいていません。
このような状態は 意識をしっかりと使っていないので、内側に入り、内なる本質につながる働きが できません…。
このことに お気づきでしょうか?
それ が、あなたが ハートと ともに いないときです。
「心ここにあらず」とは よく言ったものです。


それでは、ハートの 助けがあると、自分が この場所、この瞬間にいることが どうして楽になるのでしょうか?

第一に、ハートの醸し出す 愛に満ちた雰囲気のおかげで、ここにいることが、ずっと心地よく、魅力的になるからです。
これは ちょうど、心を寄せている大好きな人と 一緒にいるような感じです。
その人と 一緒にいることが楽しく、一緒にいることができる 瞬間、瞬間を 心ゆくまで 味わいたいと思います。
感じていることが 心地よく、心から 耳を傾けます。

自分について 分かち合うことに、大きな喜びを感じます。
何かを 楽しく行っているとき、ハートを込めることで 同じことが 起こります。
感受性が開き、今までよりも ずっと生き生きし始め、その瞬間に “丸ごと”関われるようになります。

例えば、仕事が終わって 気心の知れた友人たちと 話に花を咲かせているときとか、大好きな趣味に 打ち込んでいるとき、料理でも、ダンスでも、サッカーでもゴルフでも、心から 好きなことを しているときには、ハートが そこに あります。
仕事が好きな人にとっては、もちろん その仕事をすることが ハートと ともにあるときです。


第二に、ハートの 愛に満ちた雰囲気は、瞬間ごとに 私たちが経験することを 批判したり、拒絶したり しないからです。
先に「ハートが裁かない」と 言ったのは こうした意味合いです。

ハートがあれば、自分を そのままの姿で自然に愛せます。
心を乱すような思考が やってきても、頭の中を いろいろな思いが駆け巡っても、ハートは「こんな考え、あっちへ行ってしまえ」などと言って 無理やりに思考を止めようとしません。

ハートは 思考を排除しようとせず、執着することもしません。
ハートは、思考が やってきては去っていくに任せます。

ハートは ちょうど晴れた青空のように広大な空間です。
それに対して 思考は 空に浮かぶ雲のようなものです。

ハートにいることで、頭で考えている思考にも 気づいていることができるのです。

また、感情が わき起こり、自分を ゆさぶるとします。
そのときでも、ハートは 感情を拒絶しません。
ハートは、そっと やさしく、感情を感じさせてくれます。

子供を そっとやさしく 抱き寄せる母親のように・・・・・・。



しかし、そこに ハートがなければ、自分自身を受け入れることが とても難しくなります。

例えば、自分について どんなことでも厳しく批判すれば痛みがともないます。
痛みを避けるために、自分を守ろうとするでしょう。

自分のしたことに対して、言い訳をしたり、誰かのせいで こうなったのだ と言うかもしれません。
しかし、そのようにしていると、自分の中で 批判している部分を、本当には 見ることができなくなってしまいます。

痛みを感じないようにするために、感じることに対して 自分を 閉ざしてしまうことになるからです。

このような状態では、内なる本質を 感じることが難しくなってしまいます。
内なる本質は 隠され、ますます たどり着きにくくなってしまいます。


だからこそ、内なる本質に つながろうとするとき、受け入れる というハートの質が とても大切になるのです。

痛みをともなう 感覚さえも 受け入れることで、瞬間ごとに 何を体験していても、それ に対して開かれ、気づいていることができるようになります。

以下…略

(悟りのシンクロニシティ 2013.市場義人 訳者)

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